ルパン三世の原作者である、モンキーパンチ氏は宮崎駿氏のルパンはルパンではないと言ってるのは有名な話である。
女子供に優しく、イタリアの大衆車であるフィアット500に乗り、カップ麺なんか食べたりするルパンが認められないらしい。
ようするに、ルパンから生活の匂いがしているのが気に入らないようだ。
旧ルパンで、五右衛門の師匠が五右衛門に「ルパンの強さは非情の強さ」と言う場面がある。原作のルパンは確かに、そういうところがある。
自分に敵対する者なら、女とて容赦しない非情の強さ。ルパンが格好良かったのは悪党だから格好良かったんじゃないかと思う。
じゃあ、宮崎駿の「カリオストロの城」は駄作なのかといえば、そうではない。
カリオストロの城の本編での台詞でこんなのがある。
「もう十年以上前のことだ、俺は一人で売り出そうと躍起になっている青二才だった。馬鹿やって、イキがったあげくに俺はゴート札に手を出した」
ルパンがこの台詞を言うとき回想シーンが入るんだけど、それはまさにモンキーパンチの描くルパン像が描かれているわけ。
宮崎氏の描くルパンは結局の所モンキーパンチ氏のルパンを土台としているのが、よく分かると思う。
散々悪いことをしてきたルパンに、残された良心のようなものが『カリオストロの城』では描かれているのではないのだろうかと、神様は思うわけです。
モンキーパンチ氏のルパンや旧ルパンの前半は、盗賊でありガンマンでもあったルパンだけど『カリオストロの城』でのルパンは、どろぼーなのです。
宮崎氏がその昔、インタビューでこう答えたことがある。
『ルパン三世は時代の子だった。時代から取り残されたルパンが出来ることは、少女の心を盗むことじゃないだろうか』
この言葉に、カリオストロの城の魅力が全て詰まっているような気がするんですよね。
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